運動会は「子ども主体」と言えるのか?幼稚園の先生33人への調査から見えた、行事のホンネ

働き方

この記事のまとめ

  • 鳴門教育大学などの研究チームが、ある私立幼稚園の先生33人に、1年間・6回の園行事について繰り返しアンケートを取った論文を読みました
  • 「子ども主体」の度合いを10段階で聞くと、お別れ会は平均6.28、運動会は平均3.92で、運動会のほうが大きく低くなりました
  • 「子どもにもっと関わりたかったのに関われなかった」という感覚は、正規職員に集中していました(お別れ会で正規75%・非正規14%、運動会で正規85%・非正規38%)
  • 一方で、子どもの育ちや主体性を支えようとする姿勢は、正規・非正規やキャリアの長さにかかわらず、ほぼ共通していました
  • キャリアが進むにつれて、先生の悩みや見ている範囲は「自分と子ども」から「クラス」「学年」「園全体」へと広がっていました
  • 課題は先生の意識よりも、行事の中身と仕事の構造にありそうです。ただし1園・33人の調査なので、結果は「ひとつの事例」として読むのが適切です

「行事は誰のものか」という問い

運動会や発表会の季節になると、「子どもが主役の行事」という言葉をよく耳にします。ただ、本当に子どもが主役になっているかと聞かれると、現場の先生たちほど答えに詰まるのではないでしょうか。

私は以前、保育園の運営や採用を担当し、今は学びの多様化学校を運営する法人で働いています。立場は変わっても、「子どもが主体の場づくり」は、ずっと自分の中心にあるテーマです。

そんな私にとって、今回紹介する論文はとても刺さるものでした。きれいな理想論ではなく、現場の先生たち自身に「実際どうだった?」と聞いてまわった研究だからです。

「共主体」という考え方

論文のキーワードは「共主体(きょうしゅたい)」です。聞き慣れない言葉ですが、中身はシンプルです。

子どもの「やりたい」という気持ちは、子どもの中だけで勝手に育つものではありません。先生の見守りや声かけ、友だちとのやりとり、家庭や地域とのつながりの中で引き出され、広がっていきます。子どもと先生、まわりの大人が互いに影響し合いながら、育ちの方向を一緒に決めていく。その関係性のあり方が「共主体」です。

行事で言えば、大人が段取りを決めて子どもを乗せるのでも、「子どもに任せます」と放り出すのでもありません。子どもと先生が一緒につくっていく状態を指します。

調査の中身

調べたのは、ある私立幼稚園の保育者33人です。2024年2月から2025年3月にかけて、お別れ会、運動会、研修など年間6回のタイミングでアンケートに答えてもらいました。

「子どもへの関わりで足りなかったと感じることは?」「子どもの成長を感じた場面は?」「他の先生とどう協力した?」といった質問に加えて、「この活動は、子ども主体と先生主体の割合で言うとどのくらい?」という10段階の質問もありました。

対象は、経験5年目までのフレッシュ層から園のリーダー層まで、正規職員24人と非正規職員9人です。

数字が語る、お別れ会と運動会の差

一番はっきり出たのは、行事による「子ども主体」の感じ方の違いです。

行事「子ども主体」の平均(10点満点)
お別れ会6.28
運動会3.92

統計的にも、これは偶然とは言いにくい差でした。運動会は、本番の形があらかじめ決まっていて、「見せる」要素も強い行事です。先生たち自身が、「ここは子ども主体になりきれていない」と感じていたことになります。

ここで、読んでいてハッとした点が二つありました。

「関われなかった」のは、誰か

ひとつめは、「活動中に子どもへ十分に関われなかった」という感覚が、正規職員に集中していたことです。

  • お別れ会では「ある・ややある」と答えた人が、正規職員75%に対し、非正規職員は14%
  • 運動会では、正規職員85%に対し、非正規職員は38%

論文はその理由を、仕事の構造に求めています。正規職員は、保育の計画、記録、保護者対応、職員間の調整など、全体を見渡しながらいくつもの責任を同時に抱えています。そのぶん、目の前の子どもと向き合う時間が削られやすい。さらに、全体が見えている立場だからこそ「本来はもっと関われるはず」という自分への基準も高くなり、そのギャップが「足りなかった」という感覚になって出てくる可能性も指摘されています。

運動会の「子ども主体」の度合いにも、同じ傾向が出ていました。正規職員の平均が3.30だったのに対し、非正規職員は6.13と、かなりの開きがあります。一方、お別れ会では、正規6.45と非正規6.43で、ほぼ同じでした。

ただし、これは「非正規の人のほうが子どもをよく見ている」という話ではありません。あくまで論文の解釈ですが、行事を「成功させる」責任を背負う人ほど、段取りや運営のほうに意識を取られやすい、ということだと私は読みました。子ども主体を阻んでいるのは、先生個人のやる気や力量ではなく、役割と業務量のかたちなのかもしれません。

保育園の運営や採用に関わってきた身としては、これは他人事ではありません。「人が足りない」「現場が忙しい」という話は、福利厚生や採用の問題として語られがちです。でもこの研究は、それが子どもの経験の質にも直結しうることを、数字で示していました。

意識は、実はみんな同じ方向を向いている

二つめは、少し救われる話です。

子どもの様子をよく見て、探求心を引き出し、気持ちの表現や友だちとの関係を支える。そうした「援助の姿勢」を9つの質問で測ったところ、正規か非正規か、ベテランか若手かによる差は、ほとんど見られませんでした。

つまり、大切にしたいことは、立場が違ってもおおむね共有されているのです。それでも運動会では子ども主体の度合いが下がる。だとすれば、変えるべきは「先生の意識」より、「行事のつくり方」や「役割分担」のほうだ、というのが論文の見立てです。

キャリアとともに、見える世界が広がっていく

自由記述を読み解くと、先生の「悩み」と「見ている範囲」が、キャリアとともに変わっていく様子が見えてきます。

フレッシュ層は、子どもたちから出てくるバラバラな意見をどう受け止めて活動に反映するか、声かけのタイミングは合っているか、といった目の前の実践に悩みます。子どもの成長も、「自分で考えて動けた」「友だちと協力しようとした」という、一人ひとりの芽生えとして見ています。

ミドル層になると、「行事として見せること」と「子ども主体であること」の両立に悩み始めます。気づけば「やらなければいけない」という大人の意図が前に出てしまっていた、という振り返りも目立ちました。経験があるからこそ陥る落とし穴だと、論文は指摘しています。

ミドルリーダー層では、複数のクラスのバランス調整や、保護者との関係づくりといったマネジメントの悩みが増えていきます。

リーダー層は、園全体の方針をどう共有するか、職員同士の保育観の違いをどうすり合わせるか、という組織の悩みが中心になります。

協働の仕方も段階的に変化します。日々の打ち合わせや情報共有といった行動のすり合わせから始まり、「主体性と放任はどう違うのか」といった価値観のすり合わせへ、そして園全体の方向性をそろえる統合へと進んでいきます。

どの段階の悩みも、もっともだと思います。もうひとつ思うのは、フレッシュ層の「子ども一人ひとりを見る目」と、リーダー層の「園全体を見る目」は、どちらか一方だけでは足りない、ということです。両方が同じ職場にいて、お互いの視点が交わることに意味があるのではないでしょうか。

言葉の分析からわかった、ちょっと意外なこと

この研究では、先生たちの書いた文章をソフトで分析し、「子どもが〜」「先生が〜」「子どもと共に〜」といった表現がどれくらい出てくるかも調べています。

研修会での記述では、教師同士の学びの場なのに、約6割の文で「子ども」が主語になり、約3割で「子どもと共に」という表現が使われていました。先生たちが、行事を「子どもと一緒につくるもの」として頭の中に描いていたことがうかがえます。

一方、見直しをかけた2025年のお別れ会では、「子どもと共に」の表現はわずか1.8%。「誰が何をしたか」という書き方より、「こういう場面がある」「こういう構成になっている」という、行事の構成を説明するような文章が多かったようです。

ただ、これは「共主体がうまくいっていない」という意味ではありません。論文自身も、実際の行動は分析していないため、言葉の上での傾向にとどまることを断っています。それでも、「やろうと思っていること」と「それを言葉にして語り合えているか」の間には、少し距離があるのかもしれません。

この研究を読むときに気をつけたいこと

最後に、この研究を読むうえでの注意点を整理しておきます。

  • 調べたのは、1つの私立幼稚園の33人だけです。ほかの園に当てはまるとは限りません
  • 非正規職員は9人(分析によっては7〜8人)と少ないため、数字の差は慎重に見る必要があります
  • 内容はすべて先生本人の自己報告です。子どもや保護者の目線、実際の様子の観察は含まれていません
  • 行事の回ごとに回答者が違うため、同じ人を追った変化ではありません

論文自身も、今後は複数の園での比較や、子ども・保護者も交えた調査が必要だと述べています。

「子ども主体」を支えるのは、大人の働き方かもしれない

この論文から私が持ち帰ったのは、次のことです。

子ども主体の行事をつくるには、先生の熱意だけでは足りません。運営の責任を一部の人に集中させない、行事の目的を園全体で話し合う、できれば子どもや保護者も一緒に考える。そうした働き方や組織のあり方まで含めて見直さないと、「子ども主体」は理想のままで終わってしまいます。

これは、保育園や幼稚園だけの話ではないと感じます。学校でも、私たちの職場でも、家庭の中でも、「誰のための場か」を決めているのは、案外、役割の分担や忙しさの構造だったりします。

子どもが主役の場をつくりたいなら、まずそれを支える大人が、余白を持って子どもと向き合える環境をつくること。そこから始めたいと、改めて思いました。


参考論文
宮井智子・湯地宏樹・勢井香菜子「私立幼稚園における共主体を目指した園行事の取り組み」『鳴門教育大学学校教育実践研究』第3号、197–207頁

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