「うちは大丈夫です」と言いたくなる親の気持ち ― ヤングケアラーを考える

立教大学 秋季人権週間講演会「ヤングケアラー ― 子どもや若者がケアを担うということ」(講師:澁谷智子さん・成蹊大学教授/2025年11月21日)の内容をまとめました。

この記事のまとめ

  • ヤングケアラーとは、家族の介護や世話を、年齢に合わない重さで担っている子ども・若者のこと。病気や障害のある家族だけでなく、高齢の祖父母や幼いきょうだいの世話も含まれる
  • 国の調査では、世話をしている家族が「いる」と答えた子は、小学6年生で約15人に1人、中学2年生で約17人に1人、全日制高校2年生で約25人に1人。定時制・通信制の高校生ではさらに高い
  • 世話にかける時間が短くても、「誰にも話せない」という孤独は大きい。講師はこれを「低温やけど」にたとえている
  • 背景には、きょうだいや親戚が少ない、共働きが増えた、祖父母も高齢になったなど、家族を取り巻く状況の変化がある。それでも「家族のことは家族で」という意識は変わりにくい
  • 支援を提案されると、親は「ちゃんと育てられていないと思われたのでは」と不安になり、「うちは大丈夫です」と言いたくなる
  • 大切なのは、「安心・楽しい・役に立つ」を兼ね備えた、家族が気軽に使える居場所をつくること。困ったときにだけ頼る支援ではなく、その手前で支える仕組みが足りていない

「お手伝い」と「ケア」のあいだ

講演の冒頭で澁谷さんが紹介したのは、さまざまなヤングケアラーの姿でした。

精神的に不安定なお母さんが夜に「死にたい」と泣くのを、「大丈夫だよ」と励まし続ける子がいます。認知症になったおばあちゃんが「財布を盗まれた」と何十回も言うのを、否定せずに話をそらしてあげる子もいます。おばあちゃんが通販で買ってしまったものを、学校から帰ってきてから電話履歴を調べ、「孫ですが、実は認知症でして」とキャンセルの電話をかけていた中学生もいたそうです。

どれも大人にとっても忍耐のいることです。ところが子ども自身は、それを「当たり前」だと思っています。生まれたときから家族に障害があれば、それが日常です。周りの大人も「家族思いのいい子だね」と見てしまい、昔から言われてきた「お手伝い」との境目がとても見えにくくなります。

20人に1人、クラスに1〜2人

国が初めて行った全国調査(2020〜2021年度)では、「家族の中にお世話をしている人がいる」と答えた割合は次のとおりでした。

  • 小学6年生:6.5%(約15人に1人)
  • 中学2年生:5.7%(約17人に1人)
  • 全日制高校2年生:4.1%(約25人に1人)

クラスに1〜2人はいる計算です。講演の冒頭で紹介された埼玉県入間市の調査でも、自分はヤングケアラーだと認識している子が、小中高生でおよそ20人に1人いました。入間市はこの結果を受け、2022年に日本初のヤングケアラー支援条例をつくっています。

ケアの相手は、多い順に「きょうだい」「父母」「祖父母」でした。きょうだいの場合は「幼い」が7割です。父母の場合は、身体の障害や精神疾患、依存症などが1〜2割。祖父母は「高齢」が7割以上で、「要介護」は2〜3割でした。お父さんよりお母さん、おじいちゃんよりおばあちゃんをケアしている子が多いという、性別の偏りもあるそうです。

「短いから大丈夫」とは言えない

意外だったのは、ケアにかける時間の話です。

国の調査では平日1日あたり4時間前後という結果でしたが、澁谷さんは、これは回答に協力した人に偏った重めの数字だと見ています。県内の全高校2年生を対象にした埼玉県の調査では、「1時間未満」が4割、「1〜2時間未満」が3割近くでした。

では短ければ問題ないのかというと、そうではありません。2時間未満でも、ケアのことを話せる相手がおらず、孤独やストレスを感じている子はかなりいました。しかも、悩みを誰かに相談したことが「ない」子は5〜6割と、多数派です。理由は「相談するほどの悩みではない」「相談しても変わらない」が中心でした。

澁谷さんは、ヤングケアラーはよく「低温やけど」にたとえられると話します。一見軽く見えても、それが毎日積み重なると、あとから大きな影響が出てくるという意味です。

ここで私が特に心に引っかかったのは、通信制高校の生徒のデータです。他の生徒より「相談するほどの悩みではない」と答える割合が低く(45%)、「誰に相談したらいいか分からない」「家族への偏見を持たれたくない」が高めでした。相談したい気持ちはあるのに、家族のことは話しにくいのです。

質疑応答では、「通信制に負担が集中するのはなぜか」という質問も出ました。講師は「ニワトリが先か卵が先か」と断りつつ、こう説明していました。ケアと両立しようとして、通学の負担が少ない通信制を選ぶ人がいる。しかし家にいる時間が増えるぶん、ケアがさらに重くなることもある。景色も人間関係も変わらないまま、勉強の積み重ねも難しくなり、自信を失ってしまう子もいる。

だからこそ、ケアをしている場以外にも居場所があることが、若い人には大切なのだそうです。学校に関わる仕事をしている者として、ここは重く受け止めたいところです。

なぜ今、子どもがケアを担うのか

講演の中盤は、背景の話でした。

昔は、おじさんやおばさん、いとこがたくさんいて、親がしんどいときには親戚が手を貸してくれました。今は出生率が下がり(2023年は1.20、2024年は1.15)、きょうだいは1人か、一人っ子も珍しくありません。親戚がいても遠くにいたり、忙しかったりして、頼る相手というより「迷惑をかけて悪いな」と思う相手になっています。晩婚化・晩産化で、祖父母も高齢になっています。親が倒れても、祖父母も体調が悪くて頼れません。

社会全体を見ると、働く人が少なく、支えが必要な人が多い時代に入りました。そのため女性も高齢者も働こうという流れになり、共働きは増えました。その一方で、家庭にかけられる時間とエネルギーは減っています。

もう一つ、澁谷さんが強調していたのは「意識の遅れ」です。経済や人口はものすごい速さで変わるのに、家族についての意識はなかなか変わりません。親は自分が育った家庭のイメージで子どもを育てるので、世代間で30年ほどのずれが生まれます。

象徴的な数字として、6歳未満の子を持つ父親の家事・育児などの時間が紹介されました。2001年は1日48分でしたが、2021年には1時間54分と、20年で1時間以上増えています。今の若いお父さんは、家に帰ってからも2時間近く家のことをしているのです。それなのに、職場の上の世代は、その変化を知らないまま仕事を振ってしまうことがあります。寝る時間を削って、うつになる若手男性もいるそうです。

質疑応答では、親の働き方の話も出ました。職場では「この仕事にどれだけの時間がかかり、誰がどう分担するか」を大人同士で確認するのに、家庭ではそれをやらない。だから「学校から早く帰ってくるよね」「帰るまでおばあちゃんを見ていてくれる?」と、いつのまにか子どもに回ってしまいます。家の中の作業にも仕事と同じように目を向け、家族みんなで確認することが、ヤングケアラーの負担を軽くすることにつながる、という指摘でした。

私自身、保育の現場にいた頃から、家庭ごとの事情の幅広さを見てきましたし、いま2人の子を育てる立場でもあるので、この話はまったく他人事ではありません。

「うちは大丈夫です」と言いたくなる気持ち

講演で一番心に残ったのは、親の側の気持ちの話でした。

自分の子が「ヤングケアラーですね、支援を入れませんか」と言われたらどう感じるか。澁谷さんは、会場の私たちにそう問いかけました。

まず、周りからはそう見えているのだというショックがあります。そして、自分は親としてちゃんとできていないと思われているのではないか、という不安がきます。家族で助け合ってなんとかやってきたのに、と思うほど、「うちは大丈夫です」と言いたくなります。

澁谷さんが校長先生から聞いたのは、父子家庭の小学6年生の女の子の話です。学校がお父さんと本人を呼んで支援を提案したところ、お父さんは娘さんを見て「うちは大丈夫だよな」と言いました。女の子は本当は少し期待していたようなのに、「うん」としか言えませんでした。学校はそれ以上動けず、卒業まで見守るしかなかったそうです。

澁谷さんは、このお父さんの気持ちも分かると言います。支援を断ることで、普通の家族でいられるように感じるからです。さらに、支援の世界で使われる「早期発見」「把握」といった言葉も、親にとっては重く響きます。気づいてもらえるのはありがたいけれど、「把握」されたい親はいないでしょう。

一方で、大阪・西成で子どもと家族を支えてきた人たちからは、「ヤングケアラーという言葉が画期的だった」という話を聞いたそうです。虐待という言葉の枠組みでは、子どもは被害者で、親は加害者になってしまい、親と支援者が信頼関係を築きにくくなります。ところが「ヤングケアラー」という言葉は、家族を気にかけている子どもの頑張りに焦点を当てます。「頑張っている子どもの選択肢を広げるために、親も支援者も一緒に頑張りましょう」と、同じ方向を向けるのです。

「ケアをやめる権利」もある

講演では、イギリスの取り組みも紹介されました。イギリスの国の医療サービスのサイトには、子どもにも分かる言葉で、「あなたは大人のケアラーと同じことをするべきではない」「どんなケアをどのくらいするか、そもそもケアをするかどうかを、自分で考えていい」と書かれています。障害のある大人は、子どもに頼らなくて済むよう、行政から支援を受ける資格があることも明記されています。

1993年には、ヤングケアラーの「16の権利」も提唱されました。遊ぶ権利や教育を受ける権利のほか、次のようなものがあります。

  • 話を聞いてもらい、信じてもらえる権利
  • 自分や家族の生活に関わる話し合いに入れてもらえる権利
  • 秘密を守られながら相談できる権利
  • ケアをやめる権利

最後の「やめる権利」について、澁谷さんは自分の子育てに重ねて語っていました。仕事で大学にいる間、子どもが友達のお母さんやおばあちゃん、保育園の先生と楽しく過ごしていると分かったときに、安心してケアを手放せた、と。ケアをやめるには、ケアしている相手が安心して過ごせる状況が必要なのです。

別の話では、プロの支援者になった元ヤングケアラーの言葉も紹介されました。「あの頃は自分がお母さんを守らなければと全部引き受けていたが、それで、お母さんが地域のサポートとつながる機会を奪っていたのかもしれない。家族としてお母さんを大切にすればよかった」。家族は支援者の代わりにはなれません。家族だからできることと、できないことがあるのです。

足りないのは「悪くなる手前」の支え

日本の支援策を、澁谷さんは3つの段階に分けて考えています。

  1. 啓発:まだ困っていない子や家庭に、知識や心構えを伝える
  2. 状況悪化防止:今は何とか持ちこたえているが、ストレスが大きい状態を悪化させない
  3. 事後対応:すでに生活に支障が出ている子を支える

1と3は広がってきていますが、2が圧倒的に足りないといいます。以前は、親戚や友達の家を行き来する中で、親も子も恥ずかしい思いをせず、ご飯を食べたり、話を聞いてもらったりできました。その役割を担っていた「親戚のような関係」を、今は意識してつくる必要がある、という指摘です。

同じ経験をした人と出会うということ

澁谷さんは、ヤングケアラーの研究の前に、聞こえない親を持つ聞こえる子ども(コーダ)の研究をしていました。その人たちが、同じ立場の人と話した感想として挙げた言葉があります。「自分は特別じゃないんだとホッとした」「私は変かもと思っていたことが、自分を好きになれるきっかけになった」。

困っていることはないか聞かれても「別にありません」と答えてしまうのは、困っているのとは少し違うからでしょう。「うちもそうなんだよね」「あ、なんか分かる」という声を聞いたとき、初めて気持ちが動き出します。

イギリスでは2000年から、全国のヤングケアラーが集まるフェスティバルが開かれています。参加した元ヤングケアラーは、「普段は孤独だけど、ここでは全員が同じ気持ちを知っている。本当にすごい場所だ」と語っていました。日本でも、2025年10月19日に横浜市の野島公園で「横浜ヤングケアラーズフェスティバル」が開かれ、寸劇、スタンプラリー、元ケアラーの交流の場などが並んだそうです。

運営する側にも、会場には親たちの言葉が展示されていました。「洗濯物がたためない。悪いお母さんだと涙が出た。子どもが『いいよ、たたまなくてもそのまま着れるから』と言って、また涙が出た」。そうかと思えば、「こんな私でもずっと娘の応援団長」という言葉もありました。病気になった親は、子どもに申し訳ないと思いながら、子どもを応援したいと思っています。親が安心できる様子を見ると、子どもも楽になるのだそうです。

支援のキーワードは「安心・楽しい・役に立つ」

支援を考える上で大事なのは、「困っていることはありますか」と聞くことより、「ここに来たら、自分が成長できそう」と感じられる場をつくることだ、と澁谷さんは言います。家族の体面を守りながら、気軽に使えて、実用と楽しさを兼ねているものがよい、と。

たとえば次のようなものです。

  • 1食分のご飯が食べられて、しかも楽しい
  • 安く必要な服や文房具が手に入る
  • ゲーム感覚でメンタルヘルスについて学べる

イギリスで澁谷さんが見たのは、小学3、4年生向けの活動でした。人の形を描いた紙に、「学校では?友達は?家では?」と、いざというときに相談できる人を思い浮かべて飾りつけていくのです。遊びの要素を入れながら、いざというときの備えにもなります。

最後のまとめで、澁谷さんは次のように話しました。人手も時間も減った家庭で、大人が子どもに頼らざるを得ず、子どもが年齢に合わない責任を背負うことがある。子どもにとっては、ケアの負担だけでなく、甘えられるはずの人が弱っていく姿を見ることも不安になる。家族のことを相談できる相手は、今は自然には生まれにくいので、仕掛けをつくる必要がある。そして、「人を信じてみたら役立つ支援が得られた」という成功体験を、早いうちに持つことが大切だ。

質疑応答から ― お金の話と「権利を知る」こと

質疑応答では、きょうだいの世話に加えてアルバイトを掛け持ちし、稼いだお金を親が管理しているという高校生のケースも取り上げられました。

澁谷さんの答えは、まず本人の話を聞くこと、でした。「何が今一番しんどい?」と尋ねます。そして、子どもの権利を知る機会をつくること。自分の将来のために貯金したい、自分の時間がほしいと思うのは、わがままではないと知る機会です。ヤングケアラーは、自分がこういうことを望んでもいいのだと、教えられないと知らないからです。自治体によっては、支援金を出しているところもあります(講演では埼玉県川口市の例が挙がっていました)。

もう一つ印象的だったのは、研究者としての姿勢の話です。話を聞かせてもらう相手とは、「やっぱりやめます」となっても構わないと、あらかじめ伝えているそうです。ケアの話をすることで、ケアをしていた頃の自分に引き戻される感じがするなら、それは前に進んだ証拠。「ヤングケアラー」はその人の一部でしかなく、その人はその人なのだと捉える。この視点は、子どもと向き合うすべての大人に通じると感じました。

読み終えて

「ヤングケアラー」という言葉は、誰かを責めるためのものではなく、頑張っている子どもに、親も周りの大人も一緒に目を向けるためのものなのだと、この講演で学びました。

子どもの居場所づくりに関わる者として、「困ったら来てね」ではなく、「ここは楽しいよ、役に立つよ」と思ってもらえる場所をどうつくるか。そのために、まず自分にできることから考えていきたいと思います。

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