この記事のまとめ
- 日本語が母語ではない5歳の男の子「E」を、保育園で11か月間観察した研究を紹介します
- 進級して「クラスで唯一の日本語を話さない子」になった途端、Eはからかわれるようになりました
- 変化のきっかけは、日本語の上達よりも、遊び・1対1の関わり・周りの子の反応・表現の受け止め方・「同じにできなくていい」という空気でした
- 変わったのはEだけではありません。クラスの子どもたちの見方が変わったことで、場そのものが変わりました
- 支援とは「子どもを今の環境に合わせること」ではなく、「子どもと一緒に場をつくり直すこと」だと研究は示しています
「日本語指導」だけでは足りない
日本語指導が必要な児童生徒は、2025年5月時点で公立の小・中・高校等に約8万5千人いて、過去最多を更新し続けています。就学前の保育園でも外国籍の子の受け入れは広がっていて、ある調査では、約7割の市区町村に外国籍の子を受け入れる保育所等があるそうです。一方で、支援策に取り組む自治体は一部にとどまっています。
保育や教育の現場にいた者としては、「日本語を覚えれば解決する」と考えたくなる気持ちはよくわかります。ただ、この論文が問いかけるのは、困難の原因を子ども側の日本語力だけに置いてよいのか、ということです。周りが日本語前提で動いている場では、手がかりが得られず、ズレが生まれ、「間違えたらどうしよう」と自分を出せなくなっていく。そのとき、場はどう変わればいいのか。研究はそこに注目しています。
舞台は、ある保育園の5歳児クラス
観察されたのは、ブラジル国籍でポルトガル語を母語とする男の子Eです。4歳児クラスの10月に入園し、5歳児クラスに進級しました。研究者は翌年5月から3月まで、月に1回、約3時間ずつ観察を続けました。
4歳児クラスでは、日本語を母語としない子は他にもいたのでからかいはありませんでした。ところが5歳児クラスに上がると、Eは唯一の日本語非母語話児になりました。そしてその途端、からかいが始まったのです。
からかわれる日々から、居場所ができるまで

周りより一拍遅れる子
指示が理解できないEは、周りの動きを見てまねをして参加していました。でも、見てから動くので、どうしても出遅れます。5歳児は自分で見通しを持って動ける年頃なので、その姿は「みんなより劣っている子」と見られてしまいました。そのうち、発言力のある子を中心に、からかうグループができていきます。「鬼ごっこしよう」と誘われて喜んで参加したものの、一方的に鬼にされるだけで、遊びではなかったと気づいて自分から断った、というエピソードも出てきます。
得意なことが見える遊びで、風向きが変わる
転機は、担任の先生がドッジボールに誘導したことでした。ルールは「ボールに当たらない」だけ。Eは俊敏に動いて最後まで残り、みんなから一目置かれました。プールでも、端から端まで泳げるのは自分だけで、リレーではアンカーを任されてチームを勝たせました。言葉がいらない遊びの中で、「できない子」だったEが「すごい子」として記憶され直したのです。
言葉のいらない1対1の関わり
次にEは、介助が必要な障害のある友だちSと自然に関わるようになります。言葉で通じ合う必要がない相手とは、安心して一緒にいられました。その経験を足がかりに、Eは周りをよく見るようになります。ある日、からかい集団のリーダーが一人で食器を片付けるのに苦労しているのに気づき、黙って手を添えました。リーダーは黙って受け入れ、片付けの後は安心した表情を見せました。あとで担任が「今日は嬉しかったね」とそっと声をかけると、リーダーは「今まで意地悪してたけど、これからは優しくしようと思った」と答えたそうです。言葉を交わさなくても、気持ちは動いていました。この場面では、子どもの気持ちを担任が言葉にして橋渡ししたことも大きかったと論文は述べています。
母語が「みんなの興味」になる
担任は、Eが使う言語がポルトガル語だとクラスに伝えました。そして「頭・肩・ひざ・ポン」をポルトガル語で歌う活動を取り入れました。Eは前に立って体の部位をポルトガル語で紹介し、みんなが母語で歌ってくれました。教わる側だったEが、教える側に回った瞬間です。その後、運動会のソーラン節では、これまでにない大きな掛け声で張り切って踊ったそうです。
自分で作ったゲームが人気者に
お店屋さんごっこの品物づくりでは、お菓子の大きな蓋をゲーム盤にして、球を転がすサッカーゲームを作りました。担任がよく転がる球を用意すると、からかい集団のリーダーたちが遊び始め、やがてクラス中が「貸して、貸して」と集まってきました。ここで初めて、先生を介さず、子どもたちだけの関わりが生まれました。
セリフを忘れても、それが「正解」になる
劇ごっこでは、Eは自分から主役に立候補しました。ところが練習が始まると、みんなの前で話すのが恥ずかしくなります。担任は、もう一人の子と二人で主役を演じる形を提案しました。セリフは関西弁で、これがEにはかなり難しかった。ある日、本来のセリフを忘れて、とっさに両手を広げて「オー!ノー!」と叫びました。これが大ウケで、担任は「それいいね、そのセリフを使おう」と、みんなの前で認めました。本番では、保護者の前で一人で堂々と主役を演じきったそうです。
「できない子」から「困っている子」へ
終盤、日本語でやりとりができるようになっても、Eがみんなと同じようにできないことは残っていました。からかいも、ゼロにはなりませんでした。それでも変化はありました。「それはEが嫌だと思うよ」ととめる子や、わかりやすく教えてくれる子が現れたのです。Eは「できない子」ではなく「困っている子」として受け止められるようになりました。そして、Eはクラスの中で自分らしくふるまえるようになりました。
研究が見つけた「5つのきっかけ」
研究は、Eの変化を後押ししたものを5つにまとめています。
- ルールが簡単で、見ればわかる遊び:言葉の壁を越えて、同じ土俵に立てる
- 言葉に頼らない1対1の関わり:安心して応えられる場が、関わりの幅を広げる足場になる
- Eに対する、周りの子の肯定的な反応:「貸して」と言われる経験が自信になる
- Eならではの表現を認めること:間違いも含めて受け止められると、「違っていてもここにいていい」と思える
- 「同じようにできないこと」への寛容:できなさが、否定ではなく理解の対象になる
変わったのは、Eだけじゃなかった
読んでいて一番印象に残ったのは、この点です。論文は、Eの変化を「環境に適応した結果」とは見ていません。Eの存在をきっかけに、周りの子どもたちが「自分と違う相手とどう向き合うか」を考え、関わり方を変えた。その結果、クラスの関係そのものが組み替わった、という見方です。つまり日本語を母語としない子は、支援される側であるだけでなく、周りの子どもたちにとっても学びのきっかけになっていた、ということです。
逆に言えば、もし「みんなと同じ日本語で、同じようにできること」が前提のままだったら、Eはずっと自分らしさを出せないまま過ごしていただろう、と論文は述べています。
読み終えて
保育や教育の運営に携わってきた立場で、そして2人の子の父親として考えたのは、次のようなことです。
私たち大人は、つい「この子が環境に馴染めるように」と考えます。でもこの研究が示すのは、場のほうが動くことで子どもが動き出す、という順番でした。しかも、そのきっかけは特別な教材や制度ではなく、ドッジボールやゲーム作りのような日常の遊びと、それを見逃さずに「いいね」と言える先生の一言だったりします。
もちろん、この研究は1人の子を1つの園で観察した事例です。著者たちも、からかいが集団化していく背景までは詳しく分析できなかったと限界を認めています。それでも、「子どもを変える前に、まず場を見直してみる」という視点は、保育園でも学校でも、家庭や地域でも使えると思います。
出典:鬼頭弥生・サトウタツヤ・安田裕子(2026)「日本語非母語話児が自分らしさを表現できるようになるまで:保育集団における関係変容と意味形成のプロセス」『TEAと質的探究』第4巻第2号,pp.145–164

