「家族」って、いったい誰のこと? 親密なつながりの変わり方を考える一冊

論文

この記事のまとめ

  • 『家族生活と親密性の社会学』(春秋社、2026年3月)は、家族の多様化を「衰退」ではなく「つながりの組み替え」として捉える入門書です。
  • 「同居している」「結婚している」「血がつながっている」は、今や必ずしも重なりません。家族の境界線は、実はあいまいです。
  • 家族は「ある」ものではなく、食事、連絡、子どもの世話といった日々の行いで「つくられ、続ける」ものだと考えます。
  • 同性カップルやステップファミリーなどは、自分たちを家族と周囲に認めてもらうために、余分な労力が必要になることがあります。
  • 「関係をつくる自由」が広がっても、それをつくるための機会や余裕は、誰にでも同じようにあるわけではありません。

(『人口問題研究』82巻3号に載った鈴木貴士さんの書評をもとに、私なりに読み解いたものです)

「家族」と聞いて、あなたは誰を思い浮かべますか

家族といえば、同じ家に住み、結婚や血縁でつながった人たち。多くの人がそう思い浮かべると思います。では、一緒に暮らす同棲カップルや、同性のパートナー、子育てを支え合っている友人は、家族ではないのでしょうか。

この本は、そんな素朴な問いから始まります。今の社会では、「一緒に住む」「結婚する」「血がつながる」「親しくつながる」がきれいに重ならなくなりました。だから「家族とは何か」という境界線は、思っているほどはっきりしていないというのです。

そして本書の大きな特徴は、こうした家族の多様化を「家族が弱くなった」と嘆く話にしないところです。形が変わっても、人と人が親しく支え合う気持ちまでなくなるわけではない。つながりの形が組み替わっているだけだ、という見方をとります。

「理想の家族像」を疑ってみる

昔の家族研究には、ある共通の前提がありました。働く夫と家を守る妻、子どもたちという核家族を、あたかも「どこでも通用する普通の家族」とみなす見方です。この本は、それが実際には特定の時代や階層の家族像にすぎなかったことを、歴史をたどりながら確かめていきます。

その過程で見えてくるのは、同じ家に住んでいなくても続く親戚づきあいや、家事やケアの負担が男女で大きく偏っている現実です。「普通の家族」というものさしを外してみると、見えていなかったものが見えてきます。

家族は「やっていくもの」

私が特に面白いと思ったのは、家族を「日々の行い」として捉える考え方です。一緒にご飯を食べる、連絡を取り合う、お金を送る、子どもの世話をする。そうした毎日の積み重ねが、家族という関係をつくり、保っている。家族は最初から決まった形で「ある」ものではなく、みんなで「やっている」ものだ、というわけです。

もうひとつ紹介されているのが、「自分たちは家族です」と周りに示し、認めてもらう過程に注目する見方です。ここに、多様化の現実的な難しさが表れます。同性カップルやステップファミリー(再婚などで血縁のない親子やきょうだいが含まれる家族)は、自分たちの関係を家族として説明し、理解してもらう場面がどうしても多くなります。選択肢が増えることは、自由が増えることであると同時に、認めてもらうための労力が増えることでもあるのです。

結婚や友人関係は「自由」になったけれど

書評の後半では、本書の議論をさらに先へ進める話が出てきます。結婚や家族が「個人の選択」になるほど、関係をつくり、育て、保つ責任も個人に任されるようになります。しかも、そのための時間や経済的な余裕、出会いの機会は、みんなに平等にあるわけではありません。

つまり問題は、「どんな家族の形があるか」だけでは終わらないのです。「そもそも誰が、親しい関係をつくれる状況にいるのか」という問いにつながっていきます。未婚化や少子化を考えるうえでも、大事な視点だと感じました。

読み終えて

私は二人の子どもの父親で、以前は保育園で運営や採用の仕事をし、今は学びの多様化学校を運営する法人で働いています。仕事の上でも家庭でも、「家族のかたち」や「子どもの育つ環境」が一つではないことは、日々実感しています。

だからこそ、この本の「形が変わっても、つながりが失われるわけではない」という見方には励まされました。一方で、「多様でいい」と言うだけでは足りないとも思います。どんな形の家族であっても、自分たちの関係を堂々と示せて、周囲に認められやすい社会であってほしい。そして、親しい関係を築く余裕を誰もが持てる社会であってほしい。そんなことを考えさせられました。

家族社会学を学んでいる方はもちろん、子育てや未婚化、少子化に関心のある方にも、手に取る価値のある一冊だと思います。

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