保育中の事故で、裁判所は「保育の意義」をどう語っているのか

論文

この記事のまとめ

  • 保育事故の報告は、2016年の875件から2024年には3,190件へと増え続けている
  • 保育事故の裁判では、ほとんどの場合「どんな危険があったか」が中心に語られ、「その活動にどんな価値があるか」は本来、裁判の争点にならない
  • 2015年4月〜2021年12月の20件の判決を調べると、保育の意義にまで触れていたのは5件だけだった
  • 意義が語られたのは、①活動に内在する危険の程度、②実際に起きた結果の程度、③その結果を予見できたかどうか、の3つで決まる場面に限られていた
  • 命に関わる危険が大きい活動(うつぶせ寝、プールなど)では、意義は語られていない
  • 意義が語られるときは、「危険をゼロにはできない」という前提に立ち、「自主性」といった抽象的な言葉で価値が示され、トラブルや小さなケガも「学びの機会」として捉える視点が見られた
  • 意義は、保育者に求める注意の水準が厳しくなりすぎないよう調整する「クッション」の役割を果たしていた
  • ただし、裁判所が命に関わる危険まで許しているわけではない

増え続ける保育事故と、萎縮する現場

子どもを預かる仕事は、突き詰めれば「安全」と「成長」のバランスを取り続ける仕事です。私は以前、保育園の運営や採用に携わり、いまは学びの多様化学校を運営する法人で働いています。立場は変わっても、このバランスの難しさは一貫して感じてきました。

こども家庭庁の集計によると、教育・保育施設等での事故の報告件数は、2016年の875件から2024年には3,190件になりました。報告制度が整ってきた影響もあるでしょうが、現場の緊張感が高まっているのは確かです。

事故が起きて裁判になれば、保育者は「注意が足りなかったのではないか」と問われます。その怖さから「少しでも危ない活動はやめておこう」という空気が広がると、子どもの経験は少しずつ痩せていきます。研究者の間でも、こうした「保育の萎縮」への懸念は指摘されてきました。

そこで気になるのが、裁判所は保育の価値をどう見ているのか、という点です。今回は、立命館大学大学院の船曵美千子さんの論文「裁判所の判決文にみる保育活動のリスクと意義」(立命館人間科学研究 No.54、2026年)を読んで、考えたことをまとめます。

そもそも裁判では「保育の良さ」は語られにくい

論文はまず、裁判の仕組みを説明します。

保育事故の裁判で問われるのは、「事故が起きることを予想できたのに、防ぐ努力を怠ったか」です。訴える側(被害に遭った子の保護者)は、その活動にどんな危険があったかを主張します。一方、「この活動には子どもの成長にとってこんな価値がある」という話は、責任があるかないかの判断には関係しません。だから当事者は主張せず、裁判所もわざわざ触れないのが普通です。

つまり、裁判の構造上、判決文は危険の話に偏りやすいわけです。

それでも、判決文の中には保育の意義に踏み込んでいるものがあります。船曵さんはそこに注目しました。2015年4月から2021年12月までの保育事故の判決20件を集め、裁判所が保育の意義を「どんな場面で」「どう語っているか」を分析しています。

20件のうち、意義に触れたのは5件だけ

意義に触れていたのは次の5件です。

  • 自由遊びの時間に、3歳の子が園庭の雲梯(うんてい)で首を挟まれて亡くなった事案
    裁判所は、自由遊びの目的である「園児の自主性の発達」を挙げ、保育士が子どもを常に凝視し続けることまでは求められない、と述べました。ただし、遊具そのものに危険がある場合や、子どもが本来の使い方から外れた危険な遊びを始めた場合には、すぐ気づける体制が必要だとしています。
  • 幼稚園で、他の子から引っかかれるなどした事案
    裁判所は、子どもは他の子と関わる中で社会的な行動を身につけていくものだと述べました。幼い子は善悪の判断が十分にできず、大人には理解しにくい行動を突然とることもあります。この両方を踏まえると、先生が動きを把握する義務を怠ったとは言えない、という結論でした。
  • 6歳の子が同級生に引っかかれるなどした事案
    ケガが軽微で、「社会通念上、一般に容認される範囲」だとして、違法性を否定しました。
  • 認定こども園の廊下で、園児同士が衝突して大ケガをした事案
    見通しが良く広い場所で事故が起きやすい環境ではなかったことなどから、予見はできなかったとして責任を否定しました。注目すべきは、判決がそこで終わらず、園の教育方針にまで踏み込んだ点です。この園は「廊下を走ってはいけない」と一方的に命じるのではなく、走ったら何が起きるかを子ども自身に考えさせる指導をしていました。裁判所はこれを、近年の幼児教育の研究成果にも合致する適切なものだと評価しています。責任の有無の判断だけなら不要な部分なので、論文はここを「保育そのものを肯定的に捉えている」と読み解いています。
  • お泊り保育の川遊びで、増水により園児が流され、1名が亡くなった事案
    裁判所は、ライフジャケットを適切に着けていれば命に関わる事態は予見できなかったとしました。そのうえで、園外保育は自然に触れられるなど重要な意義があると述べ、川遊びを計画したこと自体に注意義務違反はないと結論づけました。

意義が語られる「条件」が見えてきた

5件に共通する条件は、次の3つの組み合わせでした。

  1. その活動に元々ある危険が、社会的に許容できる範囲かどうか
  2. 実際に起きた結果が、許容できる範囲かどうか
  3. 結果が重大だった場合、それを予見できたかどうか

意義が語られたのは、次のどちらかの場面だけでした。

  • 活動の危険も、起きた結果も、許容できる範囲だった場合(引っかき傷など)
  • 活動の危険は許容範囲だが、結果が重大で、しかもそれを予見できなかった場合(雲梯、廊下の衝突、川遊び)

反対に、うつぶせ寝による窒息、プールでの溺水など、命に関わる危険が元々大きい活動では、意義はまったく語られていませんでした。

「亡くなった事案で意義が語られているのはおかしいのでは」と感じる方もいるかもしれません。ここで論文が指摘するのは、裁判所が意義を語るときの「言葉の選び方」です。川遊びの事案では、裁判所が価値を認めたのは「川遊び」ではなく、その上位にある「園外保育」でした。雲梯の事案でも、語られたのは「雲梯遊び」ではなく「自由遊び(自由保育)」の意義です。命に関わる危険のある個別の活動そのものを正当化するのではなく、「軽微なケガにとどまりうる広い意味での活動」の価値を語る、という構造になっています。

判決が語る「保育の価値」の4つの特徴

論文は、意義の語られ方に4つの特徴を見出しています。

  1. 注意の水準を調整するクッションになっている
    意義は、「保育者にどこまでの注意を求めるか」の基準が厳しくなりすぎるのを和らげる働きをしていました。何か起きたらすぐ責任、という結果論に陥らないための役割です。
  2. 危険をゼロにはできないという前提に立っている
    「園外保育で軽微なケガが生じることは、ある程度避けられない」といった表現がその例です。リスクゼロを前提としない保育観がうかがえます。
  3. 「自主性」「主体的に自覚する」といった抽象的な言葉で語られる
    保育は規則を守らせる場ではなく、子どもが自分で考え、律する力を育てる過程だという理解が背景にあります。
  4. トラブルを「学びのきっかけ」と捉える
    子ども同士のいざこざは、相手や周囲の反応を経験し、「次はどうすればいいか」を学ぶ機会になります。裁判所はそれを排除すべきものとしてだけ見ず、成長の一部として扱っていました。

読んで考えたこと

私が一番印象に残ったのは、4つ目の「トラブルを学びの機会として見る」視点が、裁判所の言葉の中にあったことです。

保育園の運営にいたころも、いまの学校の現場でも、「ケガをさせたくない」という思いは全員が持っています。その思いが強いほど、「じゃあ、やらせない」という選択に傾きやすくなります。その傾きに歯止めをかける考え方が、判決の中にも一部でも存在するのは、現場にとって小さくない支えだと思います。

一方で、読み違えてはいけない点もあります。この論文が示しているのは、「保育の意義があれば、事故は仕方がない」ということではありません。命に関わる危険が大きい活動では、意義は議論の入り口にすら立てていません。うつぶせ寝、プール、川遊びのように重大な事故につながる場面では、安全対策を徹底するのが大前提です。意義が考慮されるのは、「安全を尽くしたうえで、それでも残る範囲のリスク」の話に限られます。

また、論文自身も限界を述べています。調べたのは20件の判決文だけで、判決文は裁判の仕組みや当事者の主張に左右されるため、裁判所の考えのすべてを表しているわけではありません。保育の現場でどう活かすかも、まだこれからの課題とされています。

親としても、現場の人間としても

中1と小2の子を持つ親として言えば、子どもがケガをして帰ってくれば、心がざわつきます。それでも、擦り傷ひとつ作らない子ども時代が理想だとは思いません。

大切なのは、「どこまでは子どもに任せ、どこからは大人が絶対に守るのか」という線引きを、保護者・園・学校が普段から共有しておくことだと思います。この論文は、その線引きの議論に使える、ひとつの材料を与えてくれました。判決文という、普段はなかなか読まない文章の中に、保育の価値を認める言葉が確かにあった。それを知れただけでも、読んで良かったと思います。


参考文献
船曵美千子(2026)「裁判所の判決文にみる保育活動のリスクと意義」『立命館人間科学研究』No.54, 1-16.

※本記事は論文の内容を一般向けに要約したもので、法的な助言ではありません。

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