この記事のまとめ
- 世代間交流(子ども・親世代・祖父母世代の交流)は、1回きりのイベントで終わってしまい、続けるのが難しいことが課題とされてきた
- 新潟青陵大学短期大学部の研究(相澤里美さん、2026年)は、教会を「自分の居場所」にしている30代と80代の女性2人に話を聞き、交流が長続きする理由を探った
- 続く理由は3つ。①担い手自身の経験に根ざした動機、②「支援する側・される側」に固定されない関係、③互いを思いやる価値観を皆が共有していること
- 動機には「受けた愛を次へ渡したい」と「今この時間が新鮮でうれしい」という2種類があり、どちらも続ける力になっていた
- 一方で、担い手の心の負担、活動の広げ方、事故やトラブルへの備えなど、課題も残る
- 話を聞いたのは大人2人の振り返りだけで、子ども本人の気持ちはこれからの研究課題
「交流イベント」が続かないのはなぜか
保育園で働いていた頃、地域の高齢者の方と子どもたちの交流会を企画したことがありました。当日はとても良い雰囲気なのに、「次はどうしよう」「担当者が替わったらどうなるだろう」という悩みがいつも付いてまわりました。
この悩みは私だけのものではないようです。世代間交流は昔から各地で行われてきましたが、単発・不定期で終わるものが多いこと、立ち上げて数年は運営のコツが分からず、3年を超えると今度は後継者が育たないことが、これまでの調査で指摘されています。
今回ご紹介する論文は、その逆を行く例として「教会」に注目したものです。
なぜ教会なのか
著者は、ある教会の礼拝を見に行ったとき、乳幼児を連れた親子が何組もいることに気づきました。子どもたちは親から離れて他の参加者と遊び、親は親でゆっくり大人同士の会話を楽しんでいます。ある保護者は、自分の子を少し離れたところから眺めていられるのがありがたい、と話したそうです。
教会は「世代間交流のために後から作られた場」ではなく、昔から地域にあった場所です。子どもの頃から通った人が親になって子連れで戻ってくる。人生の途中で通い始めた人が、地域の子どもや親たちと関わり続ける。そうやって「支えられる側」と「支える側」が、時間をかけてぐるぐる入れ替わっているように見えた、と著者は書いています。
2人の女性の語り
調査に協力したのは、同じ教会に通う2人です。
Aさん(30代)は、信徒の両親のもとに生まれ、小さい頃から多くの世代の大人に囲まれて育ちました。今は副牧師を務めながら、未就学児を含む3人の子の母でもあります。礼拝に来る子どもたちの見守りや、世代を問わず集まれるイベントの企画をしています。
Bさん(80代)は、長いあいだ教会とは縁のない暮らしで、14年前に知人の縁で通い始めました。今は会場の整備や受付などを手伝いながら、集まる子どもたちを見守っています。
Aさんは「自分が受け取った愛を、次の人に渡したい」という思いで動いています。一方のBさんは少し違います。子育て中は女性が働くのがまだ一般的ではなく、支援制度も乏しい時代で、仕事と育児の両立や、子どもを預けることへの葛藤に悩んだそうです。それでもBさんは、その苦労を埋め合わせるためにとか、社会貢献としてという話し方はしません。子どもたちと過ごす時間そのものが「新鮮な喜び」なのだと、著者は読み取っています。
「受け継ぐ」ためのAさんと、「今が楽しい」Bさん。理由は違っても、どちらも活動を続ける力になっていました。
続くための3つの理由
著者が挙げた理由は3つです。
1. 自分自身の経験が動機になっている
先ほどのAさんとBさんのように、「受け継ぎたい」という思いと「今の充実」という喜びが、同じ場に共存しています。
2. 「する人」「される人」が固定されない
Aさんは、イベントを大きくすることよりも、みんなで分かち合うことを大事にしていて、外部に任せず自分たちで運営しています。主催者でありながら3人の子の母でもあるAさんの姿を見て、参加者のほうから自然に手伝いの手が伸びます。
子ども同士が「うちに遊びにおいでよ」の感覚で友達を誘い、そこから信徒ではない親同士のつながりも生まれています。家庭でも職場でもないこの場所では、信仰の有無も肩書きも問われず、「何者でもない自分」のままいられる。Bさんは子どもの相手を「お世話をしているとは思わない」と語ります。大人が子どもを見守る一方で、子どもも大人に元気や学びをくれる。お互いにもらうものがあるので、預ける親も「申し訳ない」という気持ちが軽くなります。
3. 大切にする価値観を皆が共有している
「愛し合う」「赦し合う」「互いの幸せを祈る」という考え方が、集う人たちの共通のものになっています。そのため世代間の価値観のぶつかりが起きにくく、流行や気分の波にも左右されにくい、と著者は考えています。
手放しでは喜べない、残された課題
著者は良い面だけを書いているわけではありません。
- 担い手の心の負担:今は価値観の近い人が中心ですが、「誰でもどうぞ」を続けるなら、善意が伝わらない場面や、つらい状況の人に引け目を感じさせてしまう場面も出てくるでしょう。そのときAさんの気持ちが揺らがないか、支える人はいるか、という心配です。
- 広げることと守ること:活動を大きくしたければ外部に頼ることになりますが、それではAさんの目指す形ではなくなります。教会らしさを守ることと、地域に開くことの間の調整が課題です。
- 「新鮮な喜び」はいつまで続くか:Bさんにとって今は新鮮な光景が、そのうち「当たり前」になったとき、子どもと関わる動機をどう保てるか。
- 事故やトラブルへの備え:「無条件に受け入れる」ことは、悪意や過度な依存にも開かれているということです。保険や同意書をどこまで取り入れるか、理念と安全管理のバランスが問われます。
研究の限界
この研究で話を聞いたのは大人2人だけで、しかも昔を振り返った語りです。「親以外の大人と関わるのがうれしかった」という記憶も、今の安定した立場から作り直されたものかもしれません。子どもがその瞬間にどう感じていたかは、まだ分かっていません。著者もそこを今後の課題としています。
読んで考えたこと
この論文で私がいちばん響いたのは、「支援のしくみ」より「居場所のあり方」が続く理由として語られていることです。
私自身、保育園で運営や採用に関わっていた頃も、今、学びの多様化学校を運営する法人で働いていても、「子どもたちが安心して過ごせる場所を、どうやって続けていくか」はずっと同じ問いです。そして2人の子の親としても、中1と小2のわが子が、親以外の大人にどれだけ助けてもらっているかを日々感じています。
ただ、この研究は教会という特別な背景を持つ場所の話です。信仰という共通の価値観まで、他の場所に持ち込むことはできません。それでも「支援する人とされる人を固定しない」「誰かが何かの役割を持てる余白をつくる」「担い手の心の負担を一人に背負わせない」といった点は、保育園でも学校でも、地域の集まりでも応用できるヒントだと感じました。
みなさんの身近にも、「ここなら自分でいられる」と思える場所はあるでしょうか。
参考文献
相澤里美(2026)「『居場所』が育む世代間交流の持続要因―教会に通う子育て世代と祖父母世代の語りから―」『新潟青陵大学短期大学部研究報告』第56号

