「鬼ごっこ」や「あぶくたった」が子どもの心を育てる ― 伝承遊びと人間関係づくりの現場から

論文

この記事のポイント

  • 少子化・都市化・核家族化が進む中で、子どもたちから「遊ぶ時間」「遊ぶ空間」「遊ぶ仲間」が奪われつつある
  • 伝承遊びは本来、異年齢の子ども集団の中で年長者から年少者へ自然に伝わってきたもの
  • 鳴門教育大学附属幼稚園での参与観察から、「かくれんぼ」「鬼ごっこ」「氷鬼」「あぶくたった」などの遊びの中に、子ども同士が思いをぶつけ合い、歩み寄る姿が見られた
  • 「どんじゃんけん」「ひょうたん鬼」「ころがしドッジ」などの指導実践では、保育者がイメージを持って伝えることが遊びの広がりにつながっていた
  • 異年齢の関わりが薄れた今こそ、幼稚園・保育園という場が伝承遊びを次の世代へつなぐ役割を担っている

最近、伝承遊びと子どもの人間関係の育ちについてまとめた研究に目を通す機会がありました。私自身、保育園の運営に長く携わり、今は学びの多様化学校の運営法人で働いていますが、読みながら「今の子どもたちに本当に足りていないものは何か」を改めて考えさせられたので、今日はその内容を紹介したいと思います。

遊びから奪われていくもの

研究はまず、今と昔で子どもの遊びがどう変わったかを整理するところから始まります。経済成長や社会の変化は、少子化、都市化、核家族化を加速させ、結果として子どもから遊びそのものを奪ってしまった、という指摘です。遊びたくても、一緒に遊ぶ仲間がいない。時間がない。空間がない。

具体的に何が減っているのかというと、遊びの「空間」が小さくなり、習い事に時間を取られて遊びの「時間」が少なくなり、そして地域の中にあった異年齢の集まりが、学校という同年齢集団に置き換わったことで「仲間」の幅も狭くなっている、というのです。

言われてみれば、私が子どもの頃は近所に自分より年上の子も年下の子もいて、外に出れば自然と混ざって遊んでいたものですが、今はそうした光景自体が珍しくなりました。

伝承遊びは、もともと「異年齢」の中で伝わってきた

もうひとつ印象的だったのは、伝承遊びの成り立ちについての整理です。日本の伝承遊びには、体を使い、集団で行い、歌に合わせて楽しむものが数多くあります。かつて子どもが多かった時代には、様々な年齢の子どもが入り混じって群れて遊び、年長者が年少者の面倒を見て、年少者は年長者からたくさんのことを学んでいました。いわゆる「ガキ大将」を中心とした遊びの中で、時には形を変えながらも、伝承遊びは自然に次の世代へ受け継がれていったというわけです。

つまり伝承遊びとは、単なる「昔ながらの遊び方」ではなく、異年齢の子ども集団という「伝える場」があってはじめて成立してきたものだったのだと、この整理を読んであらためて腑に落ちました。

幼稚園の子どもたちを観察してわかったこと

研究では、鳴門教育大学附属幼稚園で実際に子どもたちの様子を観察した事例がいくつも紹介されています。

「かくれんぼ」の場面では、保育者と一対一で遊ぶ中でも、見つかるかもしれないというドキドキ感を味わいながら、「びっくりした」「みつけた」という言葉のやりとりを通じて、安心感を持ちつつ楽しんでいる様子が見られたそうです。

「鬼ごっこ」では、思うようにいかない体験をしながら、友達と自分の思いを話し合ったり、相手の意見に耳を傾けようとしたりする姿が見られました。一方的に自分の考えを伝えるだけでなく、保育者が間に入りながら、お互いの言葉の意味に気づいたり、新しい考えを出し合ったりする場面もあったといいます。同じ遊びをしていても、それぞれに違う思いがあることに気づきながら、少しずつ歩み寄る。時にはぶつかりながらも、それでも一緒に遊ぼうとする。この積み重ねこそが、人間関係を育てているのだと感じます。

特に興味深かったのは「氷鬼」の事例です。休憩やバリアなど、逃げるための作戦を考えながら遊ぶ子どもたちがいる一方で、それは鬼にとっては面白くない作戦でもあります。ぶつかり合いも起きる中で、年長の子どもが年中の子どもに「バリアなしな」と声をかけると、素直にバリアをやめて逃げ方を考え直す姿が見られたそうです。同じ年齢同士だとなかなか折り合いがつかない場面でも、異なる年齢だからこそ、年下の子が年上の子の言葉に耳を傾け、やってみようとする。まさに、異年齢の関わりが持つ力を象徴するようなエピソードだと思います。

保育者が「伝える人」になる

もう一つの研究では、実際に伝承遊びの指導を計画し実践した振り返りがまとめられています。

例えば、経験の少ない遊びほど、保育者がわかりやすくイメージを持たせながら進めることが大切だという指摘がありました。「どんじゃんけん」では、友達と直接じゃんけんで勝負し、喜んだり悔しがったりしながらも、仲間を応援し、力を合わせて頑張ることそのものが楽しさになっていたそうです。

「あぶくたった」については、友達と歌いながら手をつないで回ったり、普段はできないこと(枕を蹴るなど)を遊びの中だからこそ楽しんだり、おばけから逃げたり追いかけたりすることへの楽しさが挙げられています。子どもたちが自分なりに「どんな音にするか」を考え、イメージを表現していく姿も、遊びの醍醐味のひとつだと分析されていました。

「ひょうたん鬼」では、捕まりそうなドキドキ感を味わいながら逃げる楽しさ、ひょうたんの形をうまく利用しながら追いかけたり逃げたりする面白さが語られ、子どもの言動によって遊びのルールそのものが少しずつ変化し、広がっていく様子も紹介されていました。

「ころがしドッジ」では、ボールを転がして友達を狙う子、あえて当たりに行く子、挑発するように声をかけて投げてもらおうとする子など、それぞれが自分なりの楽しみ方を見つけている姿が印象的でした。同じ遊びでも、楽しみ方は一つではないのだと、あらためて感じさせられます。

伝承遊びをつなぐ場所として

研究のまとめでは、伝承遊びが幼稚園という「年長児から年少児までが一緒に過ごす生活の場」で今も伝わっていることが指摘されています。近所の子ども集まりが減った今、その役割を担っているのが、まさに幼稚園や保育園といった保育の現場だというのです。

一方で、「あぶくたった」や「かごめかごめ」のような遊びは、子ども同士だけで自然に伝えていくのは難しい面もあるとも述べられています。だからこそ、保育者自身が発信者となり、遊びのイメージや楽しさを自分の中に持ちながら伝えていくことが求められる、という指摘には強くうなずかされました。楽しさをわかっていない大人が伝えても、子どもにその楽しさは伝わりません。だからこそ保育者同士が伝承遊びの楽しさを共有し、若手がベテランから遊び方を学び、保育者から保育者へと伝えていくことも必要なのだと思います。

かつては地域や家庭の中で自然に受け継がれてきた伝承遊びですが、今はその「伝える場」自体が失われつつあります。だとすれば、保育や教育に関わる私たちが、意識的にその場をつくっていく番なのかもしれません。異年齢の子どもたちが一緒に遊べる機会をどうつくるか。保育者自身が遊びの楽しさをどう体感し、伝えていくか。この研究を読みながら、日々の保育や学校運営の中で自分たちにできることを、あらためて考えさせられました。

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