昔から、子どもは村で育てるもんだった。
親が畑に出るあいだ、近所のばあちゃんが見ていた。
少し大きくなれば、兄貴や姉貴が面倒をみていた。
そこには教科書もマニュアルもなかったが、「人としてどうするか」の知恵があった。
今、保育園という場所は、制度に支えられ、法律に守られ、都会のビルの隙間にぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
そして先日、世田谷のつくし保育園で行政の監査が行われた。
紙に書かれた“指摘事項”を眺めながら、私は思った。
「さて、今の保育園にとって、本当に大事なことはなんだろう」と。
<参考>世田谷区 指導検査について
https://www.city.setagaya.lg.jp/01044/1632.html#p4
この記事で伝えたいこと
- 監査の内容を、できるだけ平たく説明します
- 保育園という“場”の本来の役目について考えます
- 保護者が見るべき「目に見えない指標」について
- 保育士という“職人”が、選ぶべき職場のこと
監査の指摘――静かな声に耳をすませる
令和六年八月十四日。
つくし保育園において、世田谷区が行った監査で、四つのことが指摘された。
- 園の運営に関する重要なことが、保護者に掲示されていなかった
- 前年度の未払い金を使うにあたって、適切な手続きがなかった
- そのお金の使い方に、処理上の誤りがあった
- 現在持っているべき未払い金の額も、適正でなかった
要するに、“説明すべきことをせず”“決まりごとを守らず”“帳尻が合わなかった”ということだ。
私はそれを責めるために書いているのではない。
問題は、「なぜそうなったのか」。
もっと言えば、「なぜ、それでよしとしてしまったのか」――そこにある。
本来、保育園とは何をする場所か
子どもは、理屈じゃない。
お腹が空けば泣き、眠たければぐずる。
雨が降ればはしゃぎ、風が吹けば走り出す。
そんな“いのち”と向き合う場が、保育園だ。
だからこそ、運営の仕方がいい加減ではいけない。
お金の流れが不明瞭ではいけない。
誰が責任を持って、誰に伝えるのか――それが曖昧なままでは、子どもを預ける親は安心できない。
保育とは、「生活」そのものだ。
そして生活とは、「信頼」のうえに成り立つものだ。
保護者の方へ――“丁寧な場所”を探してほしい
あなたが保育園を探すとき、大きな建物や立派なカリキュラムに目を奪われるのも、無理はない。
でも、それだけでは足りない。
掲示板の角がめくれていないか。
その日の献立が、丁寧に書かれているか。
先生たちの靴がきちんと並んでいるか。
子どもの名前を呼ぶ声に、やさしさがあるか。
そういう“細部”に、園の本質は宿っている。
私が子どもを預けるとしたら――
手洗い場がぴかぴかに磨かれている園を選ぶ。
そういう場所には、きっと、暮らしの流儀があるからだ。
保育士の方へ――職場は「人の空気」で決まる
今、保育士という仕事は、割に合わない。
給与は低く、責任は重い。
それでもあなたがこの道を選んだのなら、誇ってほしい。
あなたは、未来を見つめる仕事をしている。
だからこそ、自分をすり減らす場所ではなく、育ち合える場所を選んでほしい。
- 管理が丁寧で、曖昧な指示がないか
- 現場の声が園長に届くか
- 記録や処理のルールがちゃんと回っているか
- 何より、自分の心が静かに落ち着けるか
一緒に働く人の表情に、答えがある。
その人たちが、笑って子どもを迎えているか。
もしそうなら、そこは悪くない場所だ。
まとめ
保育園の監査というのは、書類を見て、数字を確認し、不備を指摘するものだ。
でも、その一枚の紙の裏には、毎日の暮らしがある。
泣く子がいて、走る子がいて、それを見守る人がいる。
だから、今回の指摘は“事務的なミス”という言葉で片付けられない。
それは、「このままで、ほんとうにいいのか?」という、静かな問いかけだ。
私たちはそれに、耳を澄ますしかない。
風の音や、足音や、子どもが笑う声と同じように。
<参考>世田谷区 指導検査について
https://www.city.setagaya.lg.jp/01044/1632.html#p4
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